『田園の詩』 NO.4 「一粒の種 生きてこそ」 (1993.5.4)


 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶ
べし」(ヨハネ伝)

 坊さんが『聖書』を持ち出すのも変な話ですが、よく知られ、よく使われる有名な言葉
だと思います。先日もある本を読んでいたら、自己犠牲の必要性を説く中で、この言葉
が引用され、次のように説明されていました。

 「土の上に落ちた一粒の麦が、自分はいつまでも麦でありたいと思ったら、次の芽は
でない。自分は麦であることをやめて死んでくれるから、次の芽が出て、次の実がみの
るのだ」

 「一粒の麦」は、ある事柄を説明するための例え話であり、その意味するところは
承知のうえで、あえて言わせてもらえば、少し気になるところがあるのです。それは、
種が死んでしまったら芽が出ないということです。

 当地では、お彼岸頃から野菜の種まきが始まり、私も張り切って、いろんな野菜を
沢山作ります。そして、遅霜の心配がなくなる4月下旬になると、いよいよキュウリの
種をまく時期となります。

 一定の間隔をあけ、一列に並べてまいた種から、一週間もすると、かわいい芽が
土をもたげて出て来るのですが、数箇所、歯が抜けたように何の変化もないところが
あります。「少し遅れるのかな」と思って待つのですが、いくら経っても芽が出ません。
そこで、土をかき分けてみると、種は腐って死んでいるのです。

 原因はいろいろあるようですが、数箇所必ずそんなところがあります。そういえば、
種袋に発芽率80%などと書かれています。


      
     一袋の種(¥400位)で、これ位まくことができます。2粒ずつまきますが、今年は成績が
      良く、きれいにそろって双葉がでました。昔は、ムギワラを敷きましたが、入手困難なので、
      現在は黒マルチを張っています。
      もう少し大きくなったら、竹でヤグラを組んで、手を添えてやります。 (08.5.5写)



 ともかくも、土に落ちた種は、そこで死んでしまったら芽を出さないのです。土や水
などを与えられ、今までと違った環境の中でも、自分のいのちを燃やし続けるとき、
芽や根を出すのです。

 田舎暮らしで、自然から、教えられること学ぶこと、いっぱいです。(住職・筆工)

                    【田園の詩NO.】 【トップページ】